インタビュー
オーバード・ホールの情報誌MiteMite vol.80に掲載するために、人形劇俳優の平常さんにお話を伺いました。とても優しく丁寧に1つ1つの質問にお答えいただき、しかもどれも素敵なお話ばかりだったがゆえ、紙面に収まりきらず泣く泣くカットしたエピソードをこちらに掲載します。こちらは「こぼれ話」のため、MiteMite vol.80記載の本編をぜひ先にご覧ください。平さんが「人形劇俳優」という肩書をこだわりをもって使用する理由や、劇場や人形劇への熱い思いなどを記載しております。
Q:作品の脚本づくりから上演まで全て手がけられますが、どの工程が特にお好きですか?全然別の脳を使うような気がしますが…
そうなんです。私は作品によっては作曲もしますし、作詞・作曲・脚本・デザイン画・人形を造る・演出・美術・照明・音響も一緒に考えて創っていきます。
これね、一番好きな工程が、脚本とデザイン画です。もっと言えばデザイン画なのかな。
要するに、一番最初の無から有のところですよね。
もうそこが本当に、それだけ一生やっていたいくらい好きです。
舞台(で演じること)は好きだし、喜びなんですけど、観客と繋がれるっていう…別物の喜びなんですよね。
作品を創り上げていくというすべての過程を見た時に、一番自分が生きた心地がして、「生きててよかった」「これ残せたから死んでもいい」とまでいったら大げさだけど、そう感じるのは脚本とデザイン画です。
まだ死ねない理由は、残さなきゃいけない作品があるからなんですよ。「これを残さなきゃ」「頭の中にあるこれを出さなきゃ」っていう。
脚本とデザイン画があれば、自分が命尽き果ててからも誰かが創れるっていう思いがあるから。この工程はものすごくエネルギーと集中力が必要で、くたびれるんですね。片手間にかけるくらいになりたいんですけど。全情報を遮断してグーーーって生み出すんですよ。
で、生み出す作業自体は結構短時間でできるんですけど、そこから先の、人形にして、セリフを習得して、舞台の演出をしてっていうのはもう「めんどく山脈」です笑。
※「めんどく山脈」はラジオパーソナリティのジェーン・スーさんの言葉で、「面倒くさいことが山脈のように続いている」という意味のようです。
毎日、「もうやめたい。もうこれ作り終わったら舞台立つの止めるぞ」と思っては、次の作品を作らずにいられないから作っている人生ですね。
もっというと、大元のコンセプトの段階が楽しいかも。
脚本の時は、この英語の原作をどういう日本語にしたら一番伝わるかとかは結構悩むし。でもね、コンセプトのところっていうのは自由なんですよ。どんな人形を作ろうが、予算も無視して考えるので。いざ作り出すと予算との兼ね合いでこれができないあれができないって、「ああもう、めんどく山脈!」っていうのがあるんですけど。
Q:コンセプト以降の面倒な作業をいくつも乗り越えられるのはなぜでしょう?
最終的に自分の思い描いているコンセプトが伝わる一番の方法は、(自身が上演する)劇場での人形劇なんですよ。残念ながら笑。
文字を読んだり絵を見たりよりも、舞台で人形劇になってお客さんと向き合って演じた時のあの空気の密度や説得力っていうのを知ってしまうと、もうそこまでやってようやく完成なんですよね。生きてる間はね。
頭の中にコンセプトはいっぱいあって、自分がやりたいものは間に合わないんですよ。あと80年あっても100年あっても足りないんですね。だからコンセプトだけは残しておいて誰かが演じてくれたらいいなと。生きてる限り年に2~3本は作れるので。本当に作り過ぎって言われるんですけど笑。
Q:平さんの子ども時代、小学校中学年くらいになってくると、人形を手放す男の子が多い中、人形を使ったコミュニケーション、いわゆる人形遊びを続ける常さん。その当時、先生の中には心配から「社会適応が難しいのではないか」と考えた人もいたそうです。そんな中で常さんのお母さんは…
そのときに仕事になるまで両親が思っていたかは分かりませんけど、学校の先生が心配しても、「大丈夫よ」って。「気にしなくていいのよ。あなたはちょっと先を行ってて、先生には刺激が強いかもね。あぁいう先生には謝っておけばいいのよ」なんて言いながら笑。
今思えば沢山の方に心配を掛けながらではありましたが、おかげさまで、学校生活は楽しく送ることが出来ました。僕は友達を巻き込んで人形劇をしてました。僕がテープに声を吹き込んで、みんなに人形遣いになってもらってお楽しみ会で発表するとか、自分がやるのを見てもらったりとか。人形劇が人と人を繋いできたんです。
子どもに対して否定的に捉えてしまいがちなポイントを肯定的に捉えるというか、劣っているように思う行動が実はその子の個性や強みだということを、大人がいかに感じていけるかですよね。
Q:人形劇の盛んな北海道で育った平さん。10代はどのように過ごしたのでしょうか?
北海道は、人形劇が文化として盛んで、人形劇団の数も極めて多いです。そこで育ったので、もう私は毎週末本番でした。
地元の子ども人形劇団に所属して、12歳の頃にこぐま座で『どんぐりと山猫』を上演して一人人形劇デビューして、中学1年生の時に人形劇団を旗揚げして。いろんな人形劇団さんで人手が必要になるので、「ちょっとこの人形持ってて」とか「片付け手伝って」とか、いろいろ手伝っていって。『ごんぎつね』でウナギ役をやりながら兵十(ひょうじゅう)の演技を見て、「いつか一人芝居でこれやるぞ」と思ったりとか。脇役や裏方の仕事も沢山やらせてもらっていく中で、いろんな創造作品の全体を見渡せましたよね。もちろん主役もやらせていただいたし、一人芝居もやらせていただいたし。
スキルを身につけなきゃいけなかったので、もう必死にレッスンでしたね。パントマイム、ジャズダンス、日本舞踊、ボイストレーニング。日替わりでいろんな先生のところにいったりワークショップを受けたりっていう日々でした。それが僕の10代ですね。
そして10代のころから大人向け人形劇を作って上演していました。
とにかく大人に人形劇を普及しなきゃと思っていました。大人が人形劇を魅力的だと思わない事には、子どもに見てもらえないんですよ。チケットを買うのは大人なので。大人の皆さんが、「子どもが喜ぶから連れて行く」という程度ではなくて、「これは子どもに観せなきゃ」「大人が得た経験を子どもに託さなきゃ」というくらいの使命感をもって来てもらいたいという思いがあって。気軽にフラッと立ち寄ってもらっても全然嬉しいんですけど、人形劇界の底上げってことで考えると、大人に人形劇芸術そのものの魅力に気付いてもらう必要があると思ってやっていました。
Q:大人向け作品でいうと、シェイクスピアや寺山修司など、様々な題材を人形劇として上演していらっしゃいます。人形劇にしたい、心惹かれる題材とはどんなものなのでしょうか。
「死」がテーマになっているもの、私の中でものすごく大事にしているというか、心惹かれるもの。「死」そのものを描いていなくても、死ぬ寸前の苦しみだとか、死を予感するかのような恐怖だったり、死というものがどこかに潜んでいる作品っていうのは、心惹かれずにいられないんです。
これ理由がありまして、死を描くことで生が描けるんですよ。
劇場に来た方が生きるということと向き合う。いつ死んでもいいと思うくらい精一杯生きながら、いつまでも生きていたいと思うのが人間の理想的な姿だと思うんですけど、やっぱり時々、生きていることが面倒くさくなったり諦めそうになったりする。それを、何か作品に触れた時に、もう一週間、もう一か月生きてみようかなと、それがどんどん延長してもらえたらいいなって思う。
私自身がいつもギリギリなんです。生きるのが楽しくて仕方ない、ばかりじゃないんですよね。この仕事を続けるのは本当に大変で。
だけどやっぱり続けてみようかなと、私自身が先人たちの素晴らしい作品によって励まされて、頑張ってこられた。その生命の循環を僕もしていかなきゃなっていう思いがあって。
だから、『ハムレット』も『サロメ』も『曾根崎心中』も死がテーマになっていたり…。
言い換えると、生命の極限状態を表現したものに惹かれる、とも言えるかもしれません。命の輝きを表現したいんだと思います。『毛皮のマリー』などがまさにそれです。自分の人生に確固たる自信をもって生き抜く力とでも言いましょうか…。
単純に楽しいものも大事ですけど、僕はドラマ・演劇が好きなんです。それが人形劇になった時に無限に、多様になる。花が喋るとか動物が喋るとか突拍子もない状態なのに、人形劇であれば成り立つ。最高の芸術だと思います。
そして、命の輝きは美しさだと思うんですよ。ドロドロしたものとか怖いものも描きますけど、必ず美しく描く。人前に出る人は、華と毒と色気が必要だと思うんですよ。毒に人は魅了されるし、心惹かれるし、でもそれが毒々しいだけだったらダメで、そこに華と色気が必要で。美しく描きたい。あと可愛いものも大好きです。大人の人形劇でも可愛くないとなっていう。心がほっとしますから。
可愛い人形たちが奮闘するものから、ドラマチックで芸術的なものまで、一つ一つを説得力のある舞台に創り上げている平さん。人形劇を演じるうえで、呼吸や息遣いといった繊細な表現こそ大切にしているとおっしゃいます。大人も子どもも惹きこまれる理由の一つが、ここにあるのかもしれません。そんな平さんが創り上げるダンボール人形劇の世界、「お花のハナックの物語」を、どうぞお楽しみに。